清盛塚/神戸の不動産は和光興産

  電話でのお問い合わせは078-515-3936

メールでのお問い合わせはこちら

神戸の観光名所/平 清盛塚 

清盛塚 神戸柳原えびす神社 

平 清盛塚 
 所在地  神戸市兵庫区切戸町
 開園  24時間
 定休日  なし  
 入場料  なし
 アクセス JR「兵庫」駅徒歩15分
 公式ホームページ  
 ■担当者の追記
高さ約8.5mの十三重の石塔で、清盛の死(1181年)後の鎌倉時代の「弘安9年(1286年)2月」
の年号が刻まれており、長らく清盛の墓所と考えられており、もともとは現在より慢性11mの
場所にありましたが旧神戸市電の拡張工事に伴い現在の場所に移転されました。その際の調査で
遺骨は発見できず現在では墓ではなく供養塔であると考えられております。また清盛の墓は現在
も見つかっておらず歴史の謎となっています。
平清盛は、永久6年1月18日(1118年2月10日)、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の長男として
生まれ、出身地は京都府京都市という説が有力となっています。
大治4年(1129年)正月に12歳で従五位下・佐兵衛佐に叙任、若い頃は、鳥羽法皇第一の竉臣・
藤原家成の邸に出入りしていたようです。家成は、清盛の継母・池禅尼の従妹だったようです。
保元元年(1156年)の保元の乱では義母池禅尼が崇徳天皇の子・重仁親王の乳母だったため
清盛の立場は難しい物だったが、一門の結束に努め後白河天皇側について勝利をもたらし播磨守・
大宰大弐となり、平治元年(1159年)平治の乱で政権を握った藤原信頼ら反信西派を一掃し政治
的地位を高めこの過程で源氏の有力武士が滅亡したため武士の第一人者となり武家政権樹立の礎
を築き、その後隆盛を極めるが、仁安3年(1168年)病に倒れて、出家し、回復後福原に別荘・
雪見御所を造営し厳島神社・日宋貿易の拡大に没頭したようです。1118年教徒でで熱病を悪化
させ死去したとされています。
                       
情報発信会社  神戸の不動産
有限会社 和光興産

〒652-0042
神戸市兵庫区東山町2丁目4番
TEL.078-515-3936
FAX.078-515-3937

有資格者
・宅地建物取引士2名
・2級建築施工管理士1名
・住宅ローンアドバイザー1名
・遺品整理士1名

営業時間

午前9時30分~午後7時
※事前連絡を頂きましたら
午後7時以降も対応可能です

定休日
水曜日・年末年始

交通
■電車
神戸市営地下鉄「湊川公園」駅
徒歩北に約5分

■バス
(7番9番11番多数停車)
「東山町」バス停沿
■徒歩
三井住友銀行 湊川支店
北へ30M

兵庫区役所 北へ180M
和光興産所在地